WORKS

千葉の自宅にある画室の器は、ルーズにごろごろ床置きされているものも多く、昨年の震災時もそのズボラが幸いして被害はそれほど多くなかった。それでもやはり少なからずが傷ついたし、木っ端みじんに飛散してしまったものもある。今、それらのもののいくつかはやむなく破棄され、いくつかは金で繕われて美しくなった。また、いくつかは欠けたまま置かれている。まるで人々のようだとも思う。

 

散りゆく桜と同じように、いつかは形を失う無常の象徴としての茶器の文化が日本にはある。割れてなお手元に残った器たちを眺めながら、なにか物を見る目が変わった予感に戸惑いつつ過ごした一年だった。ことさらに、日本の器が愛しいこの頃である。

 

菅野由美子