CRITIQUE

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先刻さっきまでそこに在った何か

萬木 康博

 「作為、意図、あるいは表現というようなものを極力排しながら、淡々と、普通に、ものがそこにあるさまを描きたい。」2007年の個展会場に掲示された作家のコメントは、文字どおり淡々とした2行だった。このとき展示された中に、油彩で器を描くようになった現在の菅野の、第1作目だという[four things_1](後に[four_1]に変更)があった。別々の器が4つ、横一列で、ほぼ等間隔に並んでいる。奥行きの浅い棚状の平面にそっと置かれた状態で、仄かな光が左斜め上から差している。そこには、とても静かな時間が描かれていた。

 11年2月の個展では、「器は、器であるがゆえに空洞をもつ。……ただ目の前でぽっかりと空いているだけの、沈黙の空洞に心惹かれる…」と、作家コメントの中で表白する。

 私は、菅野由美子の器を描いた作品の発表を、漏らさず追ってきた訳ではない。しかし2012年の個展に展示された[five_4]や、[two_16]に描かれるようになる背景の壁の、複雑な凹凸、その奥まった部分にある矩形の開口部の、その向こうに見える深い闇が、とても不思議に思えた。

 それまで、菅野の絵の中の器が置かれている空間は、現実の水平面であり実際の壁面がその背後にある、そんな空間だと受け止めていた。しかし最近、「私が考えているのは、絵のさらに向こう側に広がる世界…」と語る菅野に接して、「やはり違っていたんだ…」と私は考え始めた。

 菅野は15年1月の個展で、冊子にこう書いた。「器を覗き込むとそれぞれに空気の違う空洞がある。よい器はその空洞が深い。深く静かな空洞のその先には、まだ見ぬ別の世界が待ち受けているようで心が躍る。」 作品に向き合い、作品と対話しようとする者を、菅野は器の中の“深く静かな空洞のその先”へ誘おうとしているのか? そこに、『一壺天』があるというのか?

 ところが私は、“器の中の その先へ”ではなく、器たちが置かれている“仮想の空間”の奥まった壁に パックリと口を開けているその先の深い暗部の方に、より強く引き込まれそうになる。

 私が美術書を見始めた青年期の初め頃、強く眼底に焼付いた1つの作品図版があった。人気ひとけのない街角に午後の傾いた日差しで、通りに面した建物の濃い影が 路面にくっきり斜めに落ちている。たった1人、輪回しをしている少女が、その通りの奥へ進もうとしているのだが、建物の角のその先が見えないこととその見えない部分に何かが潜んでいる気配があって、強い不安を惹起させるのだ。私が菅野の作品に感じた“不思議さ”は、これに似た背後に潜む何かの気配への慄きなのかもしれない。

 東京・南青山のCassina ixc.で、2014年開催の小企画「STILL LIFE-Morandiに捧ぐ」に菅野の器の作品も展示されたことがあった。昨年秋、その菅野に自身の作品とモランディの器の作品と「違いは何か?」と訊ねてみた。此方は、モランディの場合オブジェの個々を“別人格”には捉えずに塊として捉え、その〈塊が造り出す全体の風貌〉を描こうとしていると考えていたが、菅野もモランディが個々の器そのままではなく必要な場合にはボトルに塗料まで塗ってしまうことに着目し、「器そのものの現実は、それほど必要とされていない絵のように思える」と語り、続けて「一方私にとって、リアルな器の持つ現実は非常に重要な要素です。しかし、そこに何かがありそうでない静寂な気配を描くために、そのリアルな器が必要なのです」と言う。

 モランディがボローニャの美術アカデミーを卒業した翌年の1914年、同地で開催された〈未来派の夕べ〉で、彼はボッチョーニ、カッラと出会う。これもモランディ初期“Metaphysical period”の伏線となったようだ。その時期に描かれた《静物》(1920年 モランディ美術館蔵)を見た私の記憶を、菅野の4つの器を描いた作品と重ねると、瓶、碗、缶などの間にただよう空気の近似性が、理由の無いものではないことに気付くのだ。

 更に、黄金色に光るリンゴを横一線で等間隔に並べた《林檎三個》(1917年)や、大型の壺の口にリンゴ1つを載せた《壺の上に林檎が載って在る》(1916年)など 一連の油彩静物画を描いた岸田劉生の作品と、菅野由美子の器の作品と、同じように「違いは何?」とも訊ねてみた。意地悪な質問のようだが、日本の現代絵画が向き合っている課題は、100年前と同じ筈はない、と私は思う。

 菅野の応答は簡潔だった。「劉生は、執念でモチーフに向かっているように窺えます。おそらくそれ自体に迫るために。私は器を描いていますが、それは器に迫るためではなく、器をめぐるうつほの空気を感じるためなのです。」“うつほ”とは、「空、宇津保、空洞」であって、菅野の姿勢は見事に一貫している。

 じつは、菅野が大学卒業後の初個展で作品を発表する更に2年前、まだ彼女が造形大の学生だったときに、同大学の仲間6~7人と開催したグループショウを、私は見に行ったことがある。1982年だった。立川駅から南に少し歩いたたしか市民会館の、エントランスホールだったのか、薄っすらした記憶だが、高い天井の大空間だった。仕切もなく入館者が行き交う空間に、その後もかなり鮮明に記憶に残り続けた作品が1点あった。雑然としたさまざまなモノを、所謂インスタレイションとして積み上げたような作品だったが、そこに現出していた“空気”を私は鮮明に記憶している。

 骨格になっていたモノは、林檎箱のような粗末な木箱で、それが幾つも雑然と重ねられ、連なっていた。しかもその箱の開口面には、格子状の細い棒や金網だったかが取り付けられていて、ニワトリが入れられていたような気配があった。勝手な記憶の“増殖”かもしれないが、抜け落ちた鶏の羽根までが格子の内や外に散らばっていたようにも思える。羽根だけでなく、鶏卵が置かれていたかもしれない。裸電球が仕組まれていたのだったか…。とにかく、先刻さっきまでそこに何か(生き物の鼓動とか)が在った気配を、つよく感じさせる作品だった。

 しかしこの作品は、逆に言えば 先刻さっきまでそこに在った何かの不在を、形にしたものだったとも考えられる。「うつほの空気を描く」という現在の菅野由美子の、遥かな“水源地”が、すでにここにあったのかもしれない。

(2018年2月記 ゆるぎ やすひろ・美術評論家)